太宰治の作品(「正義と微笑」)に出てくる内容のようです。



勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

正義と微笑 (p7/95)|デジタル小説 - 太宰ミュージアム


いいですね。



「文化的な人間(教養人)」は、
 
「広い視野、思いやり・慈しみの深い心を持った人間」。

それはつまり、

「人やこの世界を、愛を持って見ることができる人間」

だ。

といったところでしょうか。


真の勉学の意義は、そういったところ(文化的人間になる、文化的人間を造り出していくこと)にある、と。